2015年 07月 14日
葛。 |
先日感環であった出来事。
流しそうめん台の周りにいた二人の子。
一人が水道をいじってかなりの量の水を
もう一人にかけてしまった。
かかった子はびちゃびちゃ。
かけちゃった子は
『しまった!』
という顔をしたけど謝れない。
かかった子は
『そんなに濡れてないから大丈夫』
と言っているけど、
やっぱり結構な濡れ具合。
かけちゃった子と話をしてみた。
普段曲がったことが嫌いな真っ直ぐな子。
正義感が強いから、他の子とぶつかる事もある。
『相手に嫌な事しちゃったらどうしようか。
謝るの嫌か?』
『僕も学校で嫌な事されるけど、誰も謝らないよ。』
『そうか、みんな謝らないか。』
しばらく何故人は謝るのか。
謝ると相手はどう思うのか。
そんな話を二人でした。
『じゃあその意地悪な子達と同じ様に謝らないでいるか、同じじゃないように謝っちゃうかは任せるよ。君が決めたのなら村長はもう何も言わない。』
その後何度か戻ってきては違う話をする。
謝るかどうか葛藤しているのが良くわかった。
結局この日は謝れなかった。
日々学校でこの子が経験していることを想像すると心が痛む。
でも同じ土俵に上がって同じことをしていたら、その子自身いつかきっと悲しい思いをする。
小さい子であろうと、
理解できると判断したらこちらも真剣に話し、本人と共に考える時間を持つ。
そして最後は本人がしっかりと決める。
彼らが決めたことは大人も尊重する。
このプロセスが子どもの成長には大切だと思う。
自分で考え決める力。
そして同時に他者の気持ちを想像する力。
とても大切。
今度は謝れるかな。
また一緒に考えたいと思う。
by kimi0921cfd
| 2015-07-14 22:15
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